2025/09/02
●「当たり前のことを、置き去りにしていました。」
先日、通っているピアノ教室での弾き合い会に参加しました。
2ヶ月毎に行われており、最初の参加の際は、人様の前でピアノを弾くのは人生初(子供の頃に通っていた教室は、発表会はありませんでした。)でもあったこともあり、自分でもびっくりするくらい緊張してしまい、こんなに体が制御不能で動くのかと、手足が震え、酷い演奏となり、撃沈でした( ゚Д゚)。
経営させていただいている英会話教室では、日常的に新たな方々との出会いがあり、初めてお会いする方との会話は、全く緊張せず、初対面なのに、英語以外の会話で盛り上がったりしたりするくらいなのですが、ピアノは、別物でした。
初回の弾き合い会では、弾く前のご挨拶と弾く曲のちょっとしたエピソードは、緊張せず、ペラペラと話せたのに、いざ、弾き始めると、自分でも笑ってしまうくらい、手足が震え、途中でギブアップしようかと思いながらも弾き続け、「もう、ここまで弾いたから、あと少し!」と、もうやけっぱちで、気力だけで、どうにか終えました。それはそれは、聴くに堪えない酷い演奏となってしまいました。聴いていただいた方には苦痛な時間となってしまったかと思います。申し訳ないです。緊張で、自分の体がこんな風になるんだとの気づきにもなりました。
そんなこともあり、「弾き合い会は、もうこりごり」としばらくは参加していなかったのですが、今後、参加しなければ、「緊張して、酷い演奏をした。」で記憶は留まります。このまま、1年、2年、5年・・・と過ぎてしまうのか・・・と思うと、答えは1つ。「これからも参加し続けよう。」と決め、毎回、参加しています。
参加の回数を重ねるにつれ、緊張度合いもマシになり、先日の弾き合い会では、これまでに弾いた曲の中では、一番難しい曲だったのですが、今までで、一番、緊張はしませんでした。
「なぜ、さほど緊張せず、練習時の8割くらい(今までは、酷い時は、2割くらいでした。)のパフォーマンスができたのか?(もちろん、まだまだ改善点はたくさんあります。)」
分析してみました。
● 今までの弾いた曲の中では、一番、チャレンジングな曲だったので、練習時の気合が今までとは違った。
● 本番前に、再度、2レッスンに亘り、先生にアドバイスをいただき、そのアドバイス通りに、弾き方を修正した。
● ピアノ友達との練習会で、この曲を多めに弾いた。
● 本番直前の1週間は、毎日、練習時を録画し、先生からのアドバイス通りに弾く事ができているか、プロがこの曲を弾いている動画を観て、細かいところを修正し、自分の演奏を客観的に観察した。
このようなことを、今まで、本番前にしていませんでした。
そうです。「ピアノを人前で演奏する人にとっては、当たり前のこと」をせず、「え?なんで、こんなに緊張するの?」と、自分のメンタルはどうなっているんだ?? とばかり思っていましたが、簡単に言えば、「努力不足」「練習不足」が自信のなさにつながり、「どうせ、練習通りには、弾けるはずがない。」と思い込んでいたのです。
弾き合い会は、皆さんのレベルが物凄く高く、ある方が、「発表会終わって、もうこの曲は、おなかいっぱいやわ。当分、いいわ。」とおっしゃっていた言葉が、心に突き刺さりました。「自分は、そこまで弾ききった曲はない。」と感じ、素晴らしい演奏をされる方は、そこまで練習されるんだ、と思い知らされました。
英会話も同じですね。
努力なしでは、流暢に話せる日は、来ません。
過去に出会った流暢に話せる方は、相当の努力をされていました。
ピアノも、
「まずは、目の前のことを、する!」
「上達につながる練習を続ける!(練習方法を間違えると、時間の無駄となってしまいますね。)」
ですね。
「あの憧れの曲を、いつかスラスラと弾けるようになりたい!」
と、思うだけでは、何も起こらないですよね。
何もしなければ、「何も変わらない。」もしくは「後退」
とりあえず、目の前のことを、小さな一歩でも、毎日、進み続けることで、昨日より後退することはなく、前進できますね!