2025/01/17
●「年賀状」
もう今年も24分の1が過ぎてしまいました。あ、変な言い方ですね、15日が過ぎてしまいました。
時計の針は進み続けます。時が過ぎるのは、本当に速く感じます。
お正月もアッという間に過ぎました。
皆さん、年賀状は出されていますか? 私は、6歳くらいから(?ですが、記憶では・・・)、送り続けています。昔は、パソコンがなかったので、全て、手書きでした。筆ペンで書く方も多かったですよね。1枚、1枚、本当に時間がかかりました。送る方によって、イラストやデザインを変えて書いていました。それだけ思い入れもあり、また、いただいた年賀状もカラフルで、自筆のイラストなど、まるで、アートの発表の場ようで、個性が溢れていました。毎年、1月1日に郵便配達のバイクの音が聞こえるのが、とても楽しみでした。
大人になるにつれ、年賀状を書く際に、なんとなく、お付き合いの整理をしているように感じてしまいます。「この方、もう何十年も会ってないけど、今年も出した方がいいのかな?もし、この方からの年賀状が1月1日に届いて、私が出していなければ、失礼になるし・・・。今年も、一応、出しておこう。」なんて考えながら、お出しする方を決めています。この連続で何十年も続いている方もいますが、今、思うと、続けておいてよかった、っと思います。若い時とは違い、「年賀状だけでつながっている方々と、機会があれば会って、会っていなかった何十年のつのる会話をしたい!」と、本当に思う時が増えてきました。年賀状だけでもつながっていれば、何十年会ってなかった方と会う事は可能ですが、年賀状を出していない何十年も会っていない方に、突然、連絡をすることは、気が引けます。時計の針が、コクコクと進んでいるのが、若い時には感じることがさほどなく、今、すごく感じます。1日、1日が、本当に貴重です。それは、母の死などを通し、人生はいつ終わるか誰もわからない。人生は短い、と、ここ数年、強く感じるようになりました。あ、気が付くと、えらく重い話題になってきています。タイトルは、「年賀状」なのに・・・(*^^*)
さて、子供の頃とは違い、大人になって相当時間が過ぎると(笑)、年賀状をお出しする相手は、友人だけではなく、さまざまな形のお付き合いをさせていただいている方々となります。その中の大切な方の一人である私が小学4年生の時の担任の先生(女性)と、今も尚、年賀状のやりとりをさせていただいています。私が在籍していたクラスが、その先生にとって、退職前の最後のクラスだったそうです。その当時、その先生に年賀状を出していた記憶がないのですが、どうやら、母がその先生と年賀状のやりとりを何十年もしていたようで、どういう経緯かは記憶にないのですが、20年くらい前から、母からが、私からにスイッチして以来、ずっと、やりとりをさせていただいています。ご年齢を存じ上げていなかったのですが、今年の年賀状に「私ももう95歳になりました。」と書かれていました。ご高齢にも関わらず、細かい文字を達筆で書かれており、文章は、さまざまな方への感謝の気持ちであふれていました。私に対しても、「ありがとう」と書いてくださっていました。今でも私のことを「ゆきほちゃん」と書いてくださっています。先生の目の中には、10歳の私のイメージなのでしょうね。もうおばさんですが・・・(笑) ハガキの小さなスペースに長文でとても綺麗な文字で文章を書いてくださり、一字一字、丁寧に書いてくださったのが目に浮かびます。こちらこそ、ありがたい気持ちでいっぱいです。
年賀状という習慣がなければ、おそらく、この先生ともやりとりはしていなかったと思います。そう考えると、1年に1回のとても貴重な機会ですね。
ちなみに、イギリスでは、年賀状の習慣はなく、クリスマスカードを送り合います。しかし、年賀状と同じく、年々、送る人は少なくなっているようです。クリスマスの時期には、届いたカラフルなカードを部屋中に立てて置き、カードだらけになるのが「クリスマスの時期が来た!」という感じでしたが、今は、そのような光景もあまり見られなくなってきているのかもしれません。
今は、グループラインなどで、一斉に大勢に年始のご挨拶は送れますものね。1枚、1枚、年賀状を書いていた時代よりも、便利になりましたが、その代わり、何かが失われているようにも感じます。